この旅14カ国目パラグアイをサクッと一日で通り抜け、15カ国目ブラジルにやってきた。
長らくいたスペイン語圏から脱出し、ポルトガル語圏へ。捉え方によっては、訛りを非常に強くして方言を満載にした感じとも言えなくはないが、沖縄県民と青森県民がお互い方言で話している様なものなので、スペイン語ですらマトモに話せない僕にとって、その読解は至難を極めるものである。
言葉が通じないこの恐怖感、人にモノを尋ねるのが億劫で仕方ない。
だけど、言われる度に聞き間違えてドキッとする言葉がある。
オブリガト。
アリガト。
まぁ、どっちでも意味は一緒だから良いんだけど、少しはポルトガル語も覚えてみようかしらと思った。

スカートの中を覗くと、そこは本屋だった。
信号待ちをしていると、あまりに魅力的なお尻をしたスカートが目の前にあったので、健康な男子がみなそうするように、僕も思わずそのスカートに潜り込んでしまったわけだ。
吹き抜けの高い天井には天使が飛び交い、四階建てのその壁面には本がギッシリ収められている。
クラシックな劇場がそのまま本屋に鞍替えしてしまったらしい。
その中を散策しながら“面白図説解体新書”もしくは“粋なバスルーム150”あるいは“アルゼンチン芸術ニュージェネレーション”と一緒に、優雅に踊ったり会話をしたりした。
設けられたボックス席ではバロック様式の椅子にその豊満な身体を預け、小洒落た格好のおばさんがオペラグラスを片手に彼女の為の本を観賞している。“今日から始めるハポネス料理”あるいは“淑女のためのバレエ”に違いない。
スカートの彼女は「私は世界で2番目に美しい本屋を持っているの。」と嫌味なく言えるところが育ちの良さを感じさせる。
僕はというと、2番とは言わなくても102番目くらいに美しい本屋を、丁寧に畳んで胸ポケットに入れ、珈琲でも飲みながら店番なんか出来たら、そんな人生も悪くないなぁと彼女のスカートの中を覗きながら考えていた。

カラファテからバスを乗り継ぎ40時間。沖縄から北海道くらいの距離を一気に北上。
なのにバスの中で見える景色はイケドモ、イケドモ同じ景色。なにやらその荒野には日本がスッポリ2つ入ってしまうらしい。
そしてやってきたのが、ブエノス・アイレスのボカ地区。ここはサッカーのボカ・ジュニアーズでも有名だが、何より“母をたずねて三千里”でマルコがジェノバを出発し、最初に到着した場所でもある。
因みに僕は、日本を離れて6000里。いや、7000里。
どっちでも良いけど、ずいぶん遠くまで来たものだ。ソロソロ旅も後半戦に突入です。
ミスターちんさんと写真。
泊まっている宿にTBSの取材陣が来てた。世界の果ての家族、的な内容らしい。
いつ放送かも分からないし、使われないかもしれないけど、もしテレビで僕を見かけたら教えて下さいナ♪( ´θ`)ノ

その昔、マゼランが先住民を見て、Pata=足 Gon=大きい と言い、それがパタゴニアの語源になったとされる。
そんなパタゴニアの先住民の中にヤマナ族と呼ばれた人々がいる。
サンチァゴで旅人から初めて彼らのことを聞いた。円谷プロのまわし者か、と思われても仕方のない格好をして、この極寒の地にありながら裸で暮らしていた人々。
世の中にはセンスの良い人もいるものだ。このようなギャグを真面目にやれる大人はなかなか少ない。
しかし、旅をしていて彼らの噂を聞く度に妙な違和感を覚え始めた。
普段はアザラシの脂を身体中に塗っていたため極寒にも耐え得ることができたし、このような格好は成人の儀式の時に用いられたものだという。
そして、先住民族博物館へ行って知ってしまった。
侵略してきたスペイン人に服を着させられたことによって、洗濯の習慣が無かった彼らはその細菌やウィルスにより絶滅してしまったという。
なんて悲しい民族なのだろう。。
心からこう言いたい。
設定だと思っていました。ごめんなさい。
十七日目。出発時刻11:00。
本日の目標は110キロ離れたTolhuinという村である。
しかし、連日の移動で疲れが溜まったのか昨日の自転車が嘘のように重い。まるで息を合わせたように筋肉繊維がいっぺんに切れてしまったようだ。せーの、プチン。
登りも多く、心配していた左膝も痛み出した。しかしエスタンシアもなく、こんな所でテントを張った日には凍え死んでしまうだろう。
ラスト30キロは時速10キロまでペースも落ち夜の7時、辛くもTolhuinに到着。今までで一番キツイ道のりだった。
十八日目。休養。
人はそこを夢のパナデリア(パン屋)と呼ぶ。
割と大きなパン屋なのだが、自転車乗りがそこへ行くと、無料で暖かい部屋とベッドを貸し与えてくれる。その壁には今までで泊まったであろうチャリダー達のメッセージが所狭しと書かれている。
そればかりではない。商品のパンやカプチーノをタダで振舞われ、ありがとうと言うと、
「当たり前のことをしているまでだから、ありがとうとか言わないでくれ」と言われる。
ありがとうを禁ぜられると、どう感謝を表現してよいのか解らない。困ったものである。
これは、将来僕が目指す溜め込んだ親切の還元方法の一つの形態ではないかと思う。僕もいづれ同じことを言えるようになりたいものだ。
十九日目。同休養。
何日でも泊まってくれ。というお言葉に甘え、この日も休養。
二十日目。出発時刻10:00。
泣いても笑っても、この日が最後。最終目的地であるウシュアイアまで残り105キロ。事前情報では、峠が待ち構えているという。しかし、今の僕なら走りきれるハズだ。
念には念を。早朝、まだ暗い8時頃出発しようと自転車を出すと、まさかのパンク…まぁ、途中でパンクするよりはと、クソ寒い中修理作業。
ふと見ると、そこにはヒビ割れて黒く汚れた手があった。
既視感。
あぁ、幼い頃に見た仕事帰りの父親の手だ。そう思った時に初めて大人の男になれた気がした。
出発して50キロ地点から峠に差し掛かった。自転車二日目の峠では歯が立たなかった峠道。今回は地に足つくことなく登りきることができた。峠が一番辛いのに、峠を越えた時が一番嬉しい。自転車とは因果な乗り物だ。
心配していた積雪もなく、最後の下り坂では、今までの道程を思い出し、まさかの泣き笑い。
二十一日目。出発時刻14:00。
僕にはまだ行かなければならない場所がある。アルゼンチンに入って以来、走ってきた国道三号線であるが、ウシュアイアの先30キロ地点まで続いているのだ。
アップダウンはあるものの、荷物を降ろした自転車は驚くほど軽快に進む。
午後3時半、道はどこまでも続いているよと言うが、この先にはもう地続きの道はなく、ココがこの大陸の最果てなのだと解る。
僕はもしかしたら、この一言を言いたいがためだけに走っていたのかもしれない。
バッカじゃないの⁉
何が?あなたも、僕も、全てが。
2012年5月17日。吉日。
ここ最果ての地に思いを結ぶ。
そんな感傷に浸る暇もなく、お腹が空いたなぁ。なんて感じている自分がいる。“生きる”とは、なんと身勝手で現金なことだろうと思う。そうだ、今夜は茄子味噌炒めを作ろう。
そんなわけで、これで僕の自転車旅も終わり。もし最後まで読んでくれた人がいたならホントありがとさん( ´ ▽ ` )ノ
アルゼンチンに再入国し、リオ・グランデに到着。いよいよ残すところ200キロ強。後半戦に突入です。
十日目。
船が出港しないため、待機。マジでヒマ(´Д` )
十一日目。
同上。
十二日目。出発時刻12:30。
朝の9時半の船にのりプンタ・アレーナスを出港。
フエゴ島に着港後、同じくアレーナスで船待ちをしていたらしい、自転車旅一日目に出会ったイケメンのメリケンチャリダー、マッドと偶然出会い一緒に走ることになる。
僕と同じ歳で二年間、南米を旅している自転車乗りだ。
マジで心強い(((o(*゚▽゚*)o)))
夕方5時。40キロ地点にあったエスタンシア(牧場)に泊まらせて貰えないかと聞いたところ、快くベッドを貸してくれた。
しかも、シャワーも付いているし豪華な晩ご飯と朝ご飯までご馳走してくれた。氷点下のテントとは大きな違い。
マジで感謝である♪( ´▽`)
十三日目。出発時刻10:30。
この日は、僕の誕生日である。
本来ならウシュアイアでスマートに過ごすハズだったが、まぁこんなもん。だけど、夜に降っていた雨も上がり晴天になったのは正に誕生日のチカラ。
フエゴ島は噂に違わぬ未舗装道とアップダウンで苦しい事この上ない。ヤバイと思う度に心の中で
It’s a piece of cake.(楽勝だぜ)
と何度唱えたことか。
辺りが暗くなり始め気温が寒くなってきて、去年の誕生日は暖かいレストランでワインを飲みながら、生牡蠣を食べていたなぁと思い出す。結局ゲロの処理で終わったけど良い思い出。
この日も100キロ地点にあったエスタンシアでベッドを借りることが出来たし、夜には本物のpiece of cakeを誕生日ケーキ代わりに食べた。誕生日が一日中自転車の上なんて、もう絶対にしたくないけど、まぁ良い思い出。になるに違いない。
十四日目。出発時刻10:30。
60キロ先のアルゼンチン国境を目指すハズが土砂降りに会い、やも得ず残り20キロで、またもやエスタンシアに避難。
ところで、マッドが少しづつ日本語を覚え出した。マジで?とヤバイ!の二言で会話出来る僕たちはよくよく考えるとマジでヤバイΣ(゚д゚lll)
十五日目。出発時刻12:00。
休養もかねて昨日やり残した20キロだけなので気持ちは大分楽。
これで長かったチリともおさらば。未舗装路ともおさらば。そしてアルゼンチンこんにちは。
しかし、160キロに及ぶガタガタ道でマジでケツがヤバイ( ;´Д`)
十六日目。出発時刻10:45。
朝からの雨で若干のやる気が削がれたものの、小雨になったところで80キロ先のリオ・グランデを目指し出発。
途中雨脚が強くなり、靴がぐしょぐしょ、足先の感覚がなくなったけど、舗装路は走り易く4時半には到着。
街に着いてホステルが高すぎるため、寝場所を探して彷徨っていると、偶然訪ねた家に泊めさせてもらえることになった。ふと考えると、最近食費以外にお金を使っていないことに思い当たる。
つくづく旅とは人の優しさを食物にして成り立っていると感じる。世界中の優しさを消費して旅をする僕は、それ以上の優しさを誰かに還す事が出来るのだろうか。今はまだどうしたら良いのか分からないけど、取り敢えず明日も世界中が晴れたらいいな。
とまぁ、自転車の上で誕生日を迎えた僕だけど、何時何分に産まれたか毎年母親に聞こうと思って忘れてしまうので、今年こそは聞こうと思う。マジで。
そして相変わらず、長々と書いてしまったけど、もし読んでくれた人がいたならホントありがとさん( ´ ▽ ` )ノ
プンタ・アレーナスに無事到着しました。
六日目。
予定通り、自転車修理と洗濯をすませ休養。宿のオヤジがやたらにパイネを勧めてくる。この街に来る殆どの人は行く場所。
まぁ、そうだわなぁ。と思いながらも、やんわり拒否(-。-;
七日目。出発時刻9:00。
本日はノリ次第で70〜100キロ走ろうかと計画。気持ちの良い下り坂が続き序盤は快調に飛ばす。
が、途中から雨が降って来て、自転車に括り付けておいた寝袋びしょ濡れヽ(´o`;
夕方4時、当初の目標100キロ地点に到着するも、これじゃあテント張ってもマトモに寝れんでしょ。ってな訳で150キロ地点にある村を目指すことにする。
150キロと言えば、常磐線で上野駅を出発し福島県の勿来駅に到達する距離だ。多分。各駅停車でも4時間かかるだろう。多分。
辺りが暗くなり始め気温が下がってきた。横風が吹き、止まって休憩も寒くてまともに出来ない((((;゚Д゚)))))))
夜9時30分、丘の上から村灯りが見えた時の感動って言ったらもう!やった!やったよお母さん!
上野を出て12時間、いわきに着いた‼
八日目。出発時刻11時15分。
快晴。一気に100キロ先のプンタ・アレーナスを目指す。昨日あれだけ走れたんだもの。100キロなんてヘッチャラ♪( ´θ`)ノ
残り52キロ地点にあったバス停でお昼休憩。コレまで同じ道を通ったであろうチャリダー達の足跡が壁中に残されている。なので僕もチョット混ざってみる。僕の軌跡、ここに来れた奇跡、なんてことは恥ずかしくて言えない。
お昼ご飯を食べて走り出すと、何やら左膝の様子がおかしくなってきた!?(・_・;?
漕ぐ度にピキピキ痛むのだ。
そして思い出した!これは一年前に、友達の会社のバスケサークルに参加した時に調子に乗って痛めたヤツだ(゚д゚lll)
段々と痛みが増し、もう左足は乗せているだけ、右足一本で漕いでいるせいで疲労の溜まり方がハンパない。普通に行けば2時間の距離。しかしダメだ。これ以上走ったら右足ばかり太くなって、見た目的にバランスが悪くなる‼
というわけで、ここで今日は断念。あくまで、見た目的にね。
残り30キロ地点にあったエスタンシア(牧場)の物置場にテントを張らせてもらう。
満月と馬の組合せがなんとも乙だなぁと白湯を啜る夜。
九日目。出発時刻10:45。
朝から雨が降っていたので、小降りになるのを待って出発。
やっぱり左膝が痛むが、今日の午後と明日は船での移動のため休養だ(((o(*゚▽゚*)o)))
3日間で250キロ。これは言ってみれば、皇居から福島第一原発までの距離ではないか!多分。
原発事故が起こる前、そんなに安全なら原発なんて皇居の中に造れば良いんだ。と言っている人がいて、なるほど。と思った記憶がある。まぁ、そんな距離を走った。
ってなワケで日測最長記録も更新し、着々とウシュアイアに向けて南下中。
この世に絶対はないし、人はいずれ死ぬ。早過ぎたり、死ねば良いのにって疎まれたりはするけど。原発造った人だって皆幸せになればイイなって思って造ったに違いないんだよね。上手く言えないけど、僕が走った分だけ少しでも悲しさの距離が短くなったら良いな。って思う。
そして相変わらず、長々と書いてしまったけど、もし読んでくれた人がいたならホントありがとさん( ´ ▽ ` )ノ
出発前のことである。
自転車を買おうと思い、店を廻ってみたけど、想定の倍くらいのお値段がするので、レンタル屋さんを廻り中古の自転車を買い取る交渉をしてみた。言ってみるものである。予算の範囲内で購入できた。荷台や自転車用カバン、寝袋やテントを準備し、いざ出発!と思いきや前日に飲み過ぎて寝坊Σ(・□・;)
しかし、散々言ってしまったからには出ない訳にはいかない、人として。
一日目。出発時刻12:00。
目標は100キロ先にあるRUTA40とRUTA11の分岐点。今にして思えば完全に舐め切った思考である。出発した時刻もそうだし、重い荷物を付けて走るというのに100キロという距離も甘く考えていた。
初っ端からのアップダウンで膝は笑い出し、もう爆笑ヽ(;▽;)ノ
途中から追いついてきた、同じくウシュアイアを目指すというアメリカ人のチャリダーは、有益な情報を僕に与え颯爽と走り去ってしまった。ヽ( ̄д ̄)ノ=3=3=3かっこよす。
夕方4時30分。時間的に考えて、約45キロ地点にあった工事現場でテントを張らせてもらうことにした。風を凌げる場所と水場が大事な事くらいは、いくらチョコレート好きの甘々な僕だって心得ている。
二日目。出発時刻10:30。
朝起きると異常に寒い((((;゚Д゚)))))))今後、これ以上寒くなっていくのかと思うと、悪寒がする!と思ったが着込んだら収まったので、ただ寒かっただけのようだ。
日の出時刻は9時前後。朝の寒い中、テントを畳んだり、寝袋をしまったりするのがマンモスだるピー(´Д` )
出発して、10キロも走ると昨日の選択がいかに幸運なことだったかが解る。峠に差し掛かったのだ。イケメンのメリケンチャリダーならきっと地に足着くことなく登り切るのだろう、と考えつつも僕は自転車を両手で携え地を蹴って進む。要するに歩く。
もし仮に昨日の時点で欲をかき先に進むことを選んでいたならば、何の風除けもない野にテントを張ることになっていただろうし、水だって尽きていた筈だ。それこそマンモスだるピー(´Д` )
結局お昼休憩をいれて3時間も自転車を押しながら延々と歩く羽目に陥ったが、良いことも沢山あった。
通り過ぎる車の大半が、クラクションを鳴らしたり、手を振ってくれたり、親指を上げてくれたり、何かしらのリアクションをしてくれるのだ。僕の勝手な思い付きが、多くの人に迷惑をかけ、心配もかけ、さらに応援を受けて成り立っている。マジメな話ね。更にそんな優しさを受けて、ちょっと涙がちょちょぎれたりした・゜・(ノД`)・゜・。
峠を越えてからは、そりゃもう気持ちよく「夏色」歌いながら、この長い長い坂を下って、ダチョウと並走しつつ、5時には一日目の目標としていた場所に到着。倉庫の中にテントを張らせて貰う。
三日目。出発時刻10:30。
昨夜の内に準備していた野菜たっぷりポトフを沸騰させて、ホクホクで頂く。本日は何としても72キロを走り切らなくてはならないので早起きしたつもりが、なぜか出発時刻は変わらず…
倉庫を貸してくれたオジさんが、ここからの最初の8キロは道が悪いけど、その後は舗装されているから走り易いよ。と情報をくれた。
そう、今までの舗装路とは違いガタガタ道である。僕はカネガネ路傍の石にも気を止めるような旅をしてみたいと思っていた。しかし、そんな石もあり過ぎると悠長に気を止めていられる程、僕は人間が出来ていない。
もうお尻がイタす。漕ぐのがツラす。早く8キロ終わらないかな〜ってボヤいて1時間。
ははーん、そういうことですか。なるほど、なるほど。土の上に石ころが転がっていた出だしの8キロ。今や石ころが所狭しと敷き詰められて、痛さ倍増。これが舗装ということなのですね。
マジでマンモスだるピー(´Д` )
走り始めて3、40キロ。タイヤがパンク。まぁ、このガタガタ道。そんなこともアルよねーと用意していたパンクキットを意気揚々とバッグから取り出し、タイヤを見てみる。
修復不可能。ピーーー(´Д` )
走るのを辞めて3時間目で初めて通った車に載せてもらい、自転車屋さんのある街、その名も28 De Novenbleへ。
日本語にすると11月28日。街の名前になってしまうなんて、その日に何があったのか気になったけど、そんな事より車で100キロ近く進んでしまった罪悪間と久しぶりの街の灯りへの感動がせめぎ合い、甘々なチョコレート馬鹿喰い(@ ̄ρ ̄@)
そして食べながら考えた!きっとアレだ。サラダ記念日的なノリで街の名前にしちゃった訳だ。
「この味がいいね」と君が言ったから11月28日はチョコレート記念日。的な。
四日目。出発時刻15:00。
パタゴニアとは風の大地である。どれくらいかと言えば木がグネっと曲って生えるくらいの風の大地である。
祝日らしくどこへ行っても店が閉まっている。修理工場のオジさんや気の良いポリスマンなどの助けを借り、ようやく走れるようになった頃にはもう3時。それでもいける所まではと思い出発したところパタゴニアの洗礼を受ける。みぞれが顔に当たって痛い事甚だしく、服は濡れた傍から風で乾いていく不思議。しかし、漕げとも焦げども進まない(;´Д`A
ほんの10キロばかり進んだ国境の街リオ・トゥルビオで泊まる事にする。
五日目。出発時刻12:30。
この日はプエルト・ナタレスまでの30キロと決めていたので、遅目の出発。
国境のある峠を登り切ると30cmばかりの積雪&降雪Σ(゚д゚lll)
びしょ濡れで寒いしスリップするし、坂下ってる間にブレーキ壊れるし、明日はナタレスで自転車直したり、洗濯したり一日ユックリしようと決めて走る。
ってなワケで身体・自転車共に満身創痍でナタレスに到着。
まだまだ駆け出しチャリダーだけど、着々とウシュアイアに向けて南下中。しかし、自転車旅が新鮮すぎて長々と書いてしまったせいで読み返すだけでもマンモスだるピー(´Д` )
けど、もし読んでくれた人がいたならホントありがとさん( ´ ▽ ` )ノ





